タダヤサイドットコムというサイトがある。
「農家であまった野菜をプレゼントする」というキャッチコピー。
抽選で当たった人のみ指定の商品をタダでもらえる。
メインは販売目的のプレゼントキャンペーンweb版です。
ナカナカ新しい切り口で悪くないと思ったけど
ボトルウォーターまで並べるとウソがばれる。
“当サイトは農家であまった野菜をプレゼントするサイトです。
形が悪いだけで捨てられてきた野菜を、ご応募いただいた方に無料でお送りいたします。
無料プレゼントの野菜は、発送当日に畑から採った「産地直送の新鮮野菜」です。
もちろん味や品質は販売野菜と変わりません。
また、気に入った農家の野菜をご購入いただく事も可能です。
生産者情報やこだわりをサイトにて公開して、安全で新鮮な野菜を皆さまにお届けいたします。
「タダヤサイドットコム」は、産地直送野菜の本当のおいしさを知っていただく他にも
農家のPR・地域活性化も目的としたサイトです。“
ブログ
子供のウソ
豊洲の土壌汚染問題がヤリ玉にあがっている。
確かに、実は盛土していなくて空洞でしたーってシャレにならん。
でもナゼ、子供のようなウソをついていたんだろう?
保守保身に熱心なお役人さまが、こんな手抜かりをするんだろうか?
安全安心も心配だけど、それにもまして子供じみた手抜かりのほうが心配になる。
まわりの価値。
モノ自体の価値を的確に判断できることは多くない。
例えばダイヤモンドの価値をモノ自体の価値として判断できる人はごくわずか。
普通は、ストーリーに価値を見出している。
仕事でも、もっとストーリーに重心を移さないとダメだな。
今のネット社会だとなおのこと繊細に対応しないと時代遅れになる。
文語と口語。
読み手・聴き手を意識した「読みことば・耳ことば」は人間的だと思う。
パソコンで打った文章と、ペンで書いた文章では読みやすさがまるで違う。
だからできるだけペンで下書きしてから、タイプアップするようにしている。
文字を書く行為が考えをまとめてくれたり、気づきを与えてくれたりする。
TVやラジオのパーソナリティも、せめてフリートークくらいはパソコン台本から離れてお話ししたほうが魅力的なのになぁ。
カッコいいオトナ。
五木 寛之さんという著名な小説家は、病院で健康保険証を使わない。
病院代をナンとか賄えるご自身の、社会に貢献できることはコレくらいですし、と。
堂々と生きているスゴイ人物です。
税金をチョロまかしているヒトとは大違いです。
考えるな、感じろ!
ナンとも言えず魅力を感じてしまうヒトやモノゴトがある。
仕事でも、できるだけ心掛けている。
そんな余裕なんかない!とか、効果が具体的じゃない!とか嘲笑されたりする。
今の、目の前のモノゴトだけじゃないと思うんだけどねー。
論理的に考えたり、発言したりするのが優れているのは思いこみすぎじゃないかな?
誰かが言ってましたが
ヒトは、ほとんどが本能で、理性はかぶっている皮一枚くらいなもんです。
賢そうに振る舞うのは、かえってバカっぽい感じがするのは、そのせいか。
セカンドシーズン。
2年前から週に何度も通っていた餃子屋さん。
多いときは昼夜に行っていた。
今は、まったく行かない。
セカンドシーズンに入ったから。
映画やTVのシリーズ物で、ファーストシーズンが好調だったらセカンド、サードと続編を作ってゆくアレです。
お金とか、お金とか、イロイロあるんでしょうね。
残念だなぁ。
そういえば近所のハンバーガー屋さんもセカンドシーズン。
六本木の東京ミッドタウンに出店してブイブイいわしてる。
太子堂の本店もナニやら…。
「ポケモンGo!」の反響が大きい。
「ポケモンGo!」
マクドナルドは黒字化するし、人気の無いスポットに人だかりができたりする。
そのもの自体の魅力ではなく、ポケモンで人が集まる。
確かに食わず嫌いの解消につながる。
集まった人たちがその場所に魅力を感じてもらえたりするかもしれない。
従来の実態を伴うアナログ的な発想では「労多くして効少なし」なのだろうか。
とにかく「ポケモンGo!」はスゴイ!
でも、倫理的な帳尻を合わせておくことも必要かもしれない。
初浪曲。
朝練講談会というのに行ってみた。
日曜の朝09:30開演のまさに朝練。
9時過ぎに行ってみると20人くらいの列。
入口で千円を渡して、スリッパに履き替えて中へ。
講談と浪曲の二部構成。
朝一から濃いめの内容でした。
入ってから出るまで1.5時間。
ちょうどイイかな。
木馬亭は8人・3.5時間。
うーん自信ないな。
キャラクター設定
コントをする人の衣装は、警官や医師が多い。
これらは衣装だけでキャラクター設定が仕上がるから、スグに内容に持って行きやすい。
スーツ姿でヤリトリする漫才とは対照的だ。
イベントに使われるデザインも同じように考えるとスンナリ答えが出る。
好みの問題とか、かわいいとか、イマドキとかではなく、キャラクター設定としてどうか?
そうすれば、パッと見て「あ、コレね」とスンナリ答えがでる。
このキャラクター設定の勘どころがセンスだと思う。
どう見せたいではなく、どう見られたいのか?
出会った瞬間、直感的にどう思われるか?
理屈ではなく、極めて情緒的な衝動としての印象のつかみ方なのだ。
企業によっては、シンプルでシュッとした無機質な都会的デザインを好むところもある。
確かにキレイでカッコいい。
ただ、美しいだけ。
キャラクターが見えてこない。
キャラクターをイチから説明して、その後やっと本題に入れる。
何時間かかるんだ?
キレイでカッコよくて美しいだけでもキャラクター設定はデキル。
ただし、その企業がブランディングをキチンと考え、十分な時間と手間と予算を費やした場合に限る。
付け焼刃でどうにかなるほど甘くはない。
それっぽく振る舞っているだけだと失敗する。