心の相談室へどうぞ

ある有名な大会社から値上げの相談がきた。
営業マンは、営業一筋30年といった感じの40代後半~50代前半の次長さん。
「(一頻りグダグダ理屈をこねて)次シーズンから、この価格に上げさせていただきます。よろしくお願いします。」
・・・それだけかよ!おい!
それは相談じゃなくて「通達」だろ!
「いい大人が、裸足で値上げ交渉に来たのですか???」と聞いた。
次長さん、キョトンとしたのち、作り笑い。
「裸足?といいますと・・・靴は履いておりますが・・・」
ケンカを売ってきているのか、天然ボケかわからないが、キツイ相手ではある。
「だからぁー、値上げの見返りはナンデスカ?」
「???(無言で愛想笑い)」
「グダグダ理屈を聞きましたから、値上げの事情は理解しました。
でも、ただ上げると通達されても納得できません。
値上げ分と見合った見返りはナンでしょうか?とお聞きしているのですね」
「そういったものは…ないです(みょーぅにキッパリ」
ダメすぎる・・・。子供の使いより酷い。
不遜とか、下手とか、勘違いとかを通り越して、ナンクセだ。
これはもうコンプライアンス違反ではないか。
百歩譲って、社内の「心の相談室」に行かれたほうが良いと思う。
存在がエグすぎる。

無意識がオモシロイ

展示会を観に行ったり、セミナーに参加したり、ホームページを見たり、検索エンジンで調べてみたり、どれもこれらには志向性が前提となる。
webも名刺交換も展示会来訪も、明確な志向性が前提です。
これらのユーザーにアプローチするのは難しくありません。
では、志向性を有しないユーザ-は、どうでしょう?
つまり、ユーザー自身がまったく意識していない部分を予測して、引き込んでゆくにはどうすればイイのか?
これは、映像でもできるのですが、視覚情報は有限の世界観ですし、志向性が必要です。
ここまで説明すれば、お解りいただけるでしょうが
志向性を有しないユーザ-に、新たな志向性を持たせて引き込んでゆくんです。
どうやって?ナニで?
音声ファイルです。つまりラジオ。
ラジオなら、無限の空想ができますし、イケルと思うんです。
運転中や電車の中で、ラジオを聴いているときは、なんとなく聴いています。
よほどのことが無い限り、特に志向性はありません。
ソコに、新たな志向性をインストールできるチャンスがあるんです。
コレは、オモシロイことになる!

偏向報道が普通でしょ。

アメリカ大統領選挙でのメディア論が飛び交っている。
今さら何を言っているんだろう?
情報の真偽はともかく、必ずバイアスがかかっている。
100%。
情報は発信者がいるわけだから、その発信者の思考に偏る。
言い方を変えれば、情報は操作されている。
そんなものに惑わされてワーワー言っている。
生まれたての赤ん坊でもあるまいし。

うるさいだけのCMはひっそりね。

年末になると流通業が盛り上がる。
CMも賑やかになる。
でも、なぜ?こんなの?というCMが少なくない。
中でも、店名やブランド名を連呼するCMはいただけない。
アレで売れるとは思えない。
少なくともマスには向かないから、webでひっそりやってはどうだろうか。

ナニが本当のことで、ナニを信じればイイのか。

いいかげんな情報を寄せ集めただけの某サイトが問題になっている。
今さら…。
すべての情報は発信者の思考に偏っている。
バイアスがかかっている。
情報は発信される前に「整理」という操作がなされる。
自分の五感で直に感じたモノゴト以外を信じるのはムツカシイ。

小またの説明係

年内最終の展示会が終わった。
今年も相変わらず自分勝手な説明を繰り返す説明係がイッパイでした。(他社の批判ではない)
あの、小またで近寄ってくるヒト。
いくら業界の展示会といえど、初対面の相手にイキナリ説明して理解させようとする。
客側が気を遣ってしまう、安いキャバクラの気分になる。
まずは好感。そして信頼。説明はそれからでしょー。
キャバクラでムダに威張ってるんだろうなぁ。
ん?もう制限時間?とか言って。

そうそう、ソコソコー!

You tubeで人気の番組がある。
クオリティはともかく視聴回数がスゴイ。
ごく一部の人たちだけにウケる偏った内容で作られている。
構成も雑で、行き当たりばったり感も否めない。
ただ、視聴者からは強い共感をもって支持されている。
万人にウケようとするTVから離れるのがわかる。
メディアは曲がり角を曲がり切ったな。

手書きがオモシロイ

ここのところ、古い小説を選ぶことが多い。(歳のせいではない)
新しいのもイイけど、文章がどこか機械っぽい感じがしてウソくさい。
ナニより、頭の中に溶けてゆかない。
これは多分、パソコンのせいだと思う。
文字の変換や言葉の言いまわしが、パソコンっぽい。
ムダがなさすぎる。的確すぎる。漢字が多すぎる。改行が教科書風。書き手の性別がわからない…などなど。
社内の業務文書はともかく、
パソコンばっかり使っていると、プレゼンや商談がヘタクソになる。
下書きくらいは万年筆で書いたほうがイイ。
伝わりさえすればイイとまでは言わないけが、伝わってナンボでもある…。
理路整然とした文章がヨシ!文法的に正しい文章がヨシ!とされているせいかもしれない。
型にはまりすぎて少しも色気が感じられないと、カサカサと乾燥していてツマラナイ。
親子の間で取り交わされる手紙が良い例で、
下手くそでも稚拙でも中途半端でも、手書きの文章はジーンとくる。泣けたりする。
たどたどしいくらいが、ちょうどイイ。
パソコンに口説かれてもピンとこない。
書き手のキャラクターに少しだけ色っぽさが欲しい。

遅読がオモシロイ

新聞や雑誌は、ササーッとナナメ読みして欲しい情報だけピックアップする。
速読というやつだ。
これは情報を手に入れるのが目的だから、面白くはない。
ふと気がつくと、興味のあるはずの本もwebも、読むものはどれも、ササーッと読んでしまっている。
面白そうだから読んだのに、ちっとも面白くない。理解はできるけど、ちっとも面白くない。
こりゃぁ、早く読めるのがカシコイ人で、
遅いとダメな人のように
勝手に思い込んでいるせいかもしれない…。
作業になってる。
試しに、手元にある小説を、ワザとゆっくりゆっくぅりと一言づつ、丁寧に読んでみる。
遅読というやつ。
最初は慣れないせいか少し面倒くさい感じがするけど、読みすすんでゆくとビックリ!
スッパーーンッと広がる景色も、ふわふわぁっ~とゆれる気持ちも、立体的で心地いい~気分になる。
あぁっ~こんな感じにオモシロかったんだなぁーーと、しみじみ。
「本は、三度読み」の意味がわかるなぁー。
そういえば、書き手に回ると、言葉を選んで一言づつ書き進む。
一言が上手く言い表せなくて途中でフリーズすることさえある。
早く読む習慣がクセになっているからだな。
言葉をないがしろにしているせいで、いい言葉が浮かばなくなっている。
情報以外は、言葉を噛みしめながら~ゆっくりと愉しんでみるとオモシロいし、
欲しい言葉が浮かびやすくなりそうだ。

シンプルがオモシロイ

とある展示会で、ガンバっているのに可哀想なブースを発見した。
メインテーマと思しきディスプレイがドーン!とあって、その周りを取り囲むように解説コーナーが並んでいる。
よくあるパターンではある。
ところが、各コーナーはそれぞれ工夫してある。
でも、テーマと展示コンテンツが、まったく繋がらない。
バラバラ・・・。
展示をまとめるリーダーが居なかったんだろうか?
イロイロな横槍に惑わされたんだろうか?
専門的な詳細部にまで立ち入るわけにはゆかないこともあるが、あきらめが早すぎる。
確かに、ディテールにまでこだわり続けると、途中でシンドくなることがある。
でも、そうしないと本来のチカラが表面に浮き出てこない。
プロデューサーが腹をくくれたら、シンプルでまとまったブースになると思うんです。