鳴き声の続き

そうなると「ゆるキャラ」はどうか?と思ってしまう。
残念ながら、これは日本独特のものらしい。
ローカライゼーション会社のマット・アルト氏いわく「八百万の神」が、「ゆるキャラ」のもとになっているのだと。
そうか、妖怪だ!
傘も布も、壁まで妖怪にしてしまうのだから。
ナシのゆるキャラから、漢字のゆるキャラ(岡崎のオカザえもん)まで八百万にもほどがあるくらいの拡大解釈なのだ。
ちなみに、妖怪は笑い飛ばすために生み出されたという説もある。
怨念や呪いのようなマジで怖いことを妖怪にキャラ化して、怖くないようにする。
確かに、鹿の角が生えたお坊さんとか本当の意味は知りたくない。
シリアスすぎる…。

問題がオモシロイ

ココがマズイ!と、ハッキリわかっていることは「課題」と言って対処できます。
よくわからないけど漠然と存在する疑問は「問題」と言って対処できません。
危険は「課題」ですから対処できます。
不安は「問題」ですから対処できません。
課題と問題。
二つの言葉を、特に区分して対応したい今日この頃です。

男向けCMおおすぎ。

最近の自動車の広告に男向けのものが多い感じがする。
シャープでシンプルでフォルムが洗練されていて…。
そんなに男向けに振って大丈夫んんだろうか?
古の、ハンドルは「男が握る時代」でもあるまいし。
広告屋さんの時代錯誤なのか?クライアントの勘違いなのか??

最近の古典落語。

最近またぞろ「自分探し」を口にする人が増えてきたような気がする。
平和で豊かだからか…。
もともと自分は存在していないのに、探しても見つかるわきゃない。
古典落語のネタにあったかなぁ?
そっちが知りたい。

動物の言葉

そういえば何となく、ずーっと、不思議に感じていていたことがある。
意味が理解できない外国語の歌でも心に沁みる歌があるのだ。
意味がまったく分からないのに。
見当違いの解釈に決まっているのに。
ある。
PVを観たわけでもないのに、ジーンとしてしまったり、元気が出たりする。
どうやら歌声は動物の「鳴き声」のようなものらしい。
「鳴き声」によって、モテたり、好きになったりする。
言語学者の金田一秀穂氏によると「動物の本能的な仕業」なのだと。
生理的にどうか?といった類の、言葉にならない理由なのだと言語学者が語る。
そういえば、LINEのスタンプも言葉の壁が無いような感じがする。
人間という動物が共有する、表情・しぐさ・感情などは「鳴き声」のようなものかもしれない。

小せえなぁ自分。

とあるALS患者さんへのインタビューを視た。
彼は、目でキーボードを操作しながら語る。
「私はALSで身体の自由を奪われてしまったけれど、心は自由です。
思い浮かべるだけで、世界中のどこへでも行ける。誰とでも仲良くできる。身体が動かないことくらいどうってことありません。」
どうってことない、って…。
できない理由を並べたり、クヨクヨを引きずったり、小さなことで怒ったりすることが恥ずかしくなる。

職人は依怙地で、ひねくれている。

職人のシゴトは、ナカナカ素人には理解されない。
職人は腕が上がれば上がるほど自分の腕前を正当に理解してもらえない。
という現実に直面させられる。
その口惜しさが募ると「どうせ誰からも理解されない」とひねくれてしまう。
依怙地になる。
シャイで微笑ましいじゃないですか。

対面を繰り返して人脈は確立される。

五感で感じ取る情報は、他の何物にもかえ難い。
今の時代で、ネットやSNSをバカにするほど野暮ではないが
会わないと入手できない情報も少なくない。
相手が煩わしいかもしれないと慮りつつも、面談の機会を増やさねば…。

アナログな広告屋さん。

とあるイベントで、P&Gがメディアの透明化についてプレゼンを行った。
デジタル化が進んでいる時代に、不透明で、曖昧なアナログ的手法の広告を見直すのは当然です。
今までが甘やかしすぎたんですね。
広告のビジネスモデルにもたれ掛っていた会社はタイヘンです。

ナニかを教えるとわかる

人に教える(伝える)ときには、できるだけわかり易い手順とカタチにするため、頭の中にある情報を整理しなおす。
つまり、説明は自分の情報の整理を行っている。
ただこれは「説明」であって、プレゼンではない。
理解はさせられるが、口説くのとは別ですね。