感想文とあらすじ

二度目のネタですが・・・
ある書評家が、感想文の書き方について話をしていた。
本は全部読んでも、タイトルだけ読んでも、最初の一行だけ読んでも、あとがきだけ読んでも、
自分の好き勝手に読んで感想文を書けばイイんです。
つまり「時計」というタイトルの本の“時計”という文字から感じ取ったナニかを感想として書けばOK!ということです。
本を読んでナニを感じるかは、読んだ人の自由なのだ。
本を読む行為も、どこをどれだけ読もうと自由なのだ。
それが“感想”なのだ。
なるほど~確かに。
あらすじを書いて、感想文っぽく装うのはイタダケナイ。
どこかの会議室でお誕生日席に座っている人にそっと耳打ちしてみたーい。
それって「感想じゃなくて、あらすじ」ですよね・・・。
叩き出されるな、きっと。

ハイエンドA案

広告屋さんがプランを考えるとき、手持ちのリソースを組み合わせて作り上げてゆく。
ま、一部は補完しながら。利幅や融通などの都合も考えつつ。
俳優のように、さも自信満々にA案としてプレゼンする。
「それ、手前味噌で作ったB案かC案ですよね…A案はどちらに?」
そう会議の席で指摘すると、思いっきりイヤな顔をされる。
A案というのは、理想的なベストプラン。
ハイエンドこそがA案。
できるか否かなんて関係ない。
目指すべきところがハッキリしてこそ、副案が作れる。
実現性の低いプランは時間のムダ!と一蹴されることもある。
でも、実現性が低いからこそ斬新で稀少なプランなんじゃないか?
一蹴すると一見、大人っぽいかもしれないが「私はガキです」と言っているのと同じ。
そうやって、大人ゴッコ社会を生きてきたガキはある意味エライ。
そういうガキ、小学生のころにいたなぁ~。

  判断に良否なし。

右か左か判断に迷うことがある。
身悶えするくらい思い悩んだりする。
でも真剣に迷うくらいなんだから、どっちに判断しても大丈夫だったりする。
判断した方を良くするも悪くするも自分しだいですし。

人工骨のCG

某人工骨メーカーの、医療系展示会でお披露目するCG動画を制作したときのこと。
初めて見るセラミック製の人工骨は粒状のもので、骨粗鬆症や圧迫骨折のときに詰め込むのだと聞かされて驚いた。手術方法について骨の模型を使って説明を受け、CG動画を作成。
一つ目のCGのイメージは、人工骨の使われ方イメージ。
圧迫骨折した患部をいくつかの角度から観察した後、映画のミクロ決死隊のように、骨の中に入っていって人口骨をグイグイ詰め込んでいって、修復してゆくシーンを作成。
二つ目のCGのイメージは、圧迫骨折事故~修復のイメージ。
立位から尻餅をついて腰骨の圧迫骨折を起し、人工骨で修復してゆくシーン。
三つ目のCGのイメージは、頭蓋骨骨折事故~修復のイメージ。
ボールが額に当って頭蓋骨が割れて、そこに人工骨のプレートをはめ込んで修復するシーン。悲しい顔から喜ぶ顔への変化も加えてみた。
慣れてくると、徐々に演出したくなる。職業病ですね。
その後もいくつかのCGを作成しましたが、印象に残ったのは術式のCGです。
首の後ろの筋肉から徐々に中に入っていって、一番内側の筋肉で前後に動かすものでしたが、筋肉が複層しているのに時間がかかりました。あと術式には、先生の名前がついて○○式と呼ばれるんですねー。
【後日談】
これら一連の仕事の後、あろうことか自分が交通事故に遭い頭蓋骨骨折をしました。ちょうどその時、このCGを作成した会社が売り込みにきていて、作成したCGと同じものを自分の頭に入れることに…手術の立会いまで行っていただきました…ご縁ですかねー?

トップだけ儲かるゲーム。

ここのところ頻繁に合併、買収などといった言葉を耳にする。
企業が手っ取り早く大きくなってゆくには欠かせない。
ただ、大きくなればなるほど利益追求が厳しくなる。
内容や品質よりも利益。
マネーゲームだな。
トップだけ儲かる。
兵隊は兵隊。

本を面白くするのは読者の想像性。

昨年の芥川賞から、本の話題に事欠かない。
受賞作はじめ、映画やテレビの原作としても話題に上ることが多いような気がする。
「面白い本」と、そうでない本の差はナンだろう?
もちろん作者の力量による差はある。
でも読み手の力量による差もある。
作者の意図のまま、読者が読んでくれることもある。
作者の意図を超えて読者が読んでしまうこともある。
しょせんは出会いなんだろうけど。
本になってから以降は読者の想像性に全面的に委ねられるんだろうな。

好きなように生きるのが幸せなんですね。

Youtubeで車イスにヘルメット姿の外国人が
スキーのジャンプ台のような急坂をジャンプして一回転する動画を視た。
くり返しジャンプしては着地に失敗する。
受け身が取れないせいで酷い転び方をして、うめき声をあげる。
でもまた頂上に上がって笑顔で再チャレンジする。
動画では最後まで失敗していた。
「障害者だから…」という感じは受けなかった。
ただ楽しんでいた。
ナニも語られてはいなかったけど「自分の命なんだから
好きに生きればいいじゃん」という印象だ。
そう自分の人生なんだから
好きなようにチャレンジして目一杯楽しめばイイんだよ。

悪くない作品の選び方

映画も小説も、シマッタ!やっちゃった!というハズレな作品に出くわすことがある。
有料なだけに痛い悔しい・・・それはそれなりに楽しめたりするんだけど・・・最後までたどり着けないこともある。
もちろん、当り!掘り出し物!という作品に出会えることもある。
ハズレを避けるならシリーズものが安全ではある。
シリーズ化されてゆく映画や小説は大衆が支持しているから悪くはない。
でも大衆向けなんだなぁーーーヒマつぶし用か。

目に映るモノも、解釈しだいで大きくかわる。

運慶は
「彫っているのではなく、木の中に埋まっている仁王を掘り出しているだけだ」
と言ったそうです。
バランスをとりながらとか、強弱をつけてとか
ムリにこうしよう、ああしようではなく
あるがままに、ごく当たり前に行うこと。
ナカナカムツカシイけれど、本質的なことだな。

試されるということ。

プレゼンする側はプレゼンの出来を試されている。
受けてジャッジする側も試されている。
好みのモンダイはあるにせよ、能力を問われるのは同じですね。
心してジャッジしなければ…。